TAAサロン あの人にきく

松木 俊介 さん
「感謝」と「謙虚」と「コンプライアンス」。広告が提供できる価値を信じて。
公益社団法人日本広告審査機構
専務理事
公益社団法人東京広告協会 外部監事

松木 俊介 さん
プロフィール 1986年、電通に入社。ストラテジック・プランニング局で戦略コンサルティング室を立ち上げた後、第5クリエーティブ・プランニング局長、第19ビジネスプロデュース局長を歴任。2021年1月より電通クリエーティブX(当時)代表取締役社長執行役員に就任。2024年6月より現職。日本産業カウンセラー協会公認/産業カウンセラー。

変化に順応しながらチャレンジし続けた電通時代。

……松木さんは現職に就かれる前に30年以上電通にお勤めされていますが、学生時代に広告の仕事に携わりたいと思っていたのでしょうか?

実家が料亭を経営しており、幼い頃からお客さまを相手に商売をする祖父や両親の姿を目の当たりにして育ちました。その影響と自分の性格もあってか、自分自身の裁量で仕事ができる「自由さ」みたいなものに面白さを感じていたようで、大学では商学部でマーケティングを専攻し、就職活動は広告業界と外食産業しか受けませんでした。
 結局、外食産業の会社と電通に合格して、どちらに進むかを悩んで友人に相談したのですが、皆から「なんで悩んでいるのか、さっぱりわからん」と言われまして(笑)。「まずは電通に入って経験を積んでから他の業界を受けたほうが有利じゃないか?」と言われて電通に入社したら、すっかりハマってしまって。結局、勤め続けて今日に至りました。

じつは未だに話題にされる子供時代のエピソードがありまして、私が幼稚園の時の話です。当時、駄菓子屋さんに5円くらいでバルーンアートに使う細長い風船が5個入りで売られていて、それを買ってもらったんです。でも、子供の力では膨らますことができないので、近所の町工場に持っていって機械でピューっと膨らませてもらい、近所の友達に1個50円で、3個、売ったんです。家に帰って親に得意気にその話をしたら、カンカンに怒って、「すぐにお金を返してきなさい!」と。私はそもそもなんで怒られるのか、さっぱりわかりませんでした。だって仕入れ値は5円で、僕がそれを膨らませる加工をして、50円で売ったんです。その値段のつけ方とか、褒められることはあってもなんで怒られないといけないのかって(笑)。仕方なくお金を返しに行って、風船も返してもらったら、「なんで風船はそのままあげてこないの!」とまた怒られて(笑)。まあそんな風に、子供ながらに親の商売を身近に見て、商売の本質みたいなものを自分なりになんとなく感じ取っていたのかもしれません。どうやったら、誰が、いくらで買ってくれるのか、みたいなことに、小さい頃からずっと興味がありました。

電通に入社してからは、まずマーケティング部門に配属になり、その後、クリエイティブ、営業、と異動しました。広告というのは常に変化をしていくものだと私は思っていて、その変化は進化という言葉に置き換えてもいいのかもしれませんが、私の仕事生活もその変化に追われながら、それに対応するべくさまざまなチャレンジをしながらやってきたと思っています。

たとえば、今では複数の異なるセクションの人たちが有機的にチームを作って一つの仕事に向かう、ということが普通に行われていますが、30年前は全てが縦割りでした。
 マーケティングはマーケティング、クリエイティブはクリエイティブ、営業は営業。同じクライアントの仕事であっても、違う部署が連携して一つのテーマに当たる、ということはなかったように思います。でも私としては、マーケティングは調査をして客観的なデータをまとめて終わりではなくて、自分たちはこう思う、というような「提案」をすることも大切ではないかと思ったので、マーケティングにいながらクリエイティブの人に意見を伝えるようなことをちょくちょくやっていました。
 先輩や部長からは、「なんでクリエイティブと打ち合わせしてるんだ?」「あいつは何をやってるのか、全然わからない」とよく言われ、その度に自分の思いを伝えましたが、「それは君の主観だろ」と一蹴されていました。
 片や、クリエイティブの人にはけっこう面白がられ、クリエイティブの会に呼ばれたりするようになって、そうするうちにクリエイティブから「あいつとだったら仕事していい」と言われ、徐々に指名されるようになっていきました。
 1990年代になってアメリカでアカウントプランナーという存在が注目され始め、日本の広告界にも「アカウントプランニング」という言葉が上陸してきました。

※アカウントプランニング
広告主のビジネス目標やブランド戦略を深く理解し、顧客の本音や深層心理に基づいた最適な広告キャンペーンを企画、提案するプロセスのこと。マーケティング視点で調査、分析を行い、ターゲットへの効果的なメッセージ開発から媒体選定までを一貫して行う。

いわば広告表現を一緒に考えるマーケティングプランナーみたいなもので、社内でもその動きを参考にしていこうという流れになり、「松木がやっていることが近いのではないか」と言ってもらえたこともあり……それで、アカウントプランナー風の仕事が増えていきました。
 その後、マーケティングプランナーにコンサル的な仕事の進め方が必要となり、戦略コンサルティング室を提唱し、その中で電通らしいコンサルの在り方を追求する「未来創造グループ」を立ち上げ、随分と色々トライアルしました。そうこうするうちに今度はマーケティングとクリエイティブが融合して、クリエイティブ・プランニング局というのができ、そこで、局長を拝命し、第5クリエイティブ・プランニング局長をしばらく務めさせていただきました。会社としては、それまでの既存のクリエイティブ出身者とは違うタイプを局長にしたい、という判断もあったのかもしれません。

その次に、営業に行きました。折しも、営業局の名称が40年ぶりに変わり、ビジネスプロデュース局という名称になったタイミングでした。営業というのはもっとクライアントの事業に密接に携わり、事業を大きくしていくための提案をするのである、広告だけでなく「事業そのものに関わるのだ」という志に変化したわけです。
 特にデジタルが出てくると、広告だけではなく、もっとお得意さまのビジネスに対してコンサルティングもできるはずである、ということですね。そこには“ビジネスは呼ばれていくものではなくて、仕掛けにいくものである。それは広告、そしてプロモーショナルな領域に限らず、お得意さまのビジネスを膨らませる領域のものだったらなんでもやるのだ”という強い変革の意志があったように思います。
 ……というような流れで、今、思い返してみると私自身の40年間弱は、広告界を取り巻く変化にいち早く順応しようと、あれこれやってきた、という感じがします。

愛があるからこそ、苦情が出る。

……電通でのお仕事を経て、2024年にはJARO(日本広告審査機構)の専務理事にご就任されました。ご就任早々にホームページで『苦情の50年史』を公開、さらに翌25年にはご自身の発案による企画展『愛と苦情の広告史』を開催されました。改めて、その経緯や成果など振り返っていただけますか。

電通の後、関連制作会社の社長を経て、JAROに職場を移しました。赴任して間もなく、ある大手リサーチ会社の『生活者の広告への態度。10年前と現在。』というデータを見て、驚愕しました。生活者に向けて2014年と2023年に同じ質問をしているのですが、「広告はよく見るほう」というのが14年には60%弱あったのが、23年では約42%。「広告は買い物をするのに役立つ」というのも23年には同じく20ポイントくらい下がっていて、「興味ある商品の広告はきちんと見る」というのも、10年前が約73%で、最近が約62%と、10ポイント下がっている。これは大問題だなあ、と思いました。
 JAROに入った当初から、特に若い人にとって「広告は見るものというよりはスルーするもの、邪魔なもの」になりつつあるということに薄々は気が付いていたものの、そのデータを見て改めて広告環境の変化を思い知ったというわけです。このままじゃダメじゃん、広告、じゃあ何をしたらいいんだろうか……と考えるようになりました。

考えてみると、広告界の人たちは、広告が人を動かす!広告は文化を作る!という強い矜持を持っている人が多いし、あの広告が歴史を作ったと言っても決して過言ではない、本当に素晴らしい広告がもちろん数多くあります。でも、広告界ってその一面にしか光をあてていないということに気が付きました。どこどこで賞を獲った!日本全国で話題になった!社会に良いことをこんなにやっている…と、広告界のメッセージはいつも楽しく華やか、そして正義なものでした。
 その一方で、広告を受け取る側、普段見ている側からすれば、嘘、誇大、まぎらわしい、不快、詐欺、なりすまし…そんな広告に接する機会が圧倒的に多い。特に接触時間が長いスマホで見る広告に、信頼のおけない、誠意のない広告が多くなっている。これでは広告に信頼や健全さを感じないし、広告を避ける気分になっていくのはよくわかる気がしませんか。広告の人たちは偉そうなことを言っているけど、酷い広告、なくならないじゃないかと。なんか不遜な匂いが漂っているのではないかと。そのGAPを改めて強く意識するようになりました。


『苦情の50年史』

ちょうど私がJAROに行ったのがJARO設立50周年のタイミングで、既に『苦情の50年史』というコンテンツが編纂され始めていました。「広告への苦情の歴史」をレビューする広告史です。JAROに蓄積された貴重な苦情データを取りまとめて社会に還元することは、これまでご協力いただいた皆様への恩返しにとどまらず、さらなる社会貢献にもつながるとても良い試みを初めているんだなと、とても感心したのを覚えています。

そこからさらに“苦情をテーマにする広告のイベント”はできないものかと思いました。苦情というものを主人公にして何かをやっていくことで、今までの広告イベントとはちょっと違う後味、読後感のようなものを残すようなイベントをやってみたい……と考えました。苦情は広告にとって良いことではなく、公にするようなものではないという考え方が根強いですが、だからこそそこにスポットを当てることが、逆に広告への信頼につながるのではないかと思い、汐留にあるアドミュージアムの館長に思いを伝え、相談してみたところ、話がトントン拍子で進んでいきました。
 そこから生まれたのが「愛と苦情の広告史」という展示イベントでした。「苦情は広告への愛」だと捉え、企画を進めました。マザー・テレサの「愛の反対は、憎しみではなく無関心」と言う言葉から、広告をスルーすることは広告への無関心であり、苦情があるうちは大丈夫かもしれない。苦情を届けてくれてありがとう。そこには愛情があるはずだから、苦情を真摯に受け止めて、そして、それに応えていくんだというメッセージを送ろうということになりました。
 いうなれば、上から目線になりがちだった広告界からのメッセージを「感謝」と「謙虚さ」に変換して伝えることが最大のポイントだということです。とはいえ、キービジュアルはチャーミングに明るくPOPに仕上がり、楽しい雰囲気の中でそのメッセージを受け取っていただけたことで、想定以上に若い入場者がポジティブに反応してくれました。

『愛と苦情の広告史 ~あなたも広告にひとことを~』は約一ヶ月半のイベントでしたが、入場者数は目標としていた2万人を超えました。来場者の方々に、このイベントを見て思うところや広告に対する思いを自由にシールに書いて壁に貼ってもらうようにしたら、そのシールの高さが天井まで届くくらい、3000件弱のコメントが集まったのです。その中には「JAROのような広告規制に関わる機関があることを知らなかった。不快な広告がない世の中になってほしい」というものや、「苦情は改革の第一歩です」とか、「広告会社で働いているけど、正しく楽しく愛される広告を作りたい」というような若い人のご意見もありました。また、「広告が大進化の時代、JAROも頑張れ」という励ましのメッセージや「良心と良識と愛で、誰かに刺さる広告を」という業界関係者のコメントもあったりと、関係者にとっても苦情と広告の関係を見つめ直す良い機会になっていれば、思いを受け取ってくれた方もいるのかなと思いましたね。

アイロンがけは、とても奥が深いのです。

……プライベートではどんなことがご趣味ですか?

その質問をいただいた時の答えは決まっていて、私はアイロンがけと答えます。暇があれば主に自分のシャツにアイロンをかけています。家族のものも頼まれればやりますが、基本的には自分のシャツ類が中心です。ドライアイロンと霧吹きを使っていて、自分なりのノウハウも結構ありますよ。かれこれ15年くらい続けているので、おそらくこれまでに2000枚はかけていると思います。アイロンがけをしていると“無”になれるんですよね(笑)。ラグビーの試合を見るのも好きなので、週末はビールやお酒を飲みながらラグビーの試合のビデオを見ながらアイロンをかけることもよくあります。
 靴磨きも好きですが、それは靴が好きだからで、磨くことが好きというよりは好きな靴をきれいにしたいのでやっている感じです。一方、シャツのアイロンがけはシャツが好きなわけではなく、シャツにアイロンをかけること自体が好きなんです。
 ただ、気になっていることがありまして。ホームセンターや生活雑貨店に行くと、シューケア売り場というのはとても楽しそうなんですね。靴墨やクリーム、ブラシもシューキーパーも、エプロンだって多種多様でワクワクするのですが。それに比べてアイロンがけの売り場のシャビーなこと!(笑)。寂しい限りです。きっとアイロンがけは趣味というよりも家事だからでしょうね。“誰か俺にその売り場づくりの仕事くれないかなー、アイロンがけの売り場、楽しくするぜー!”と思ったりしています(笑)。「趣味のアイロンがけ」というコーナーを作って、アイロンがけしながら見るのにちょうどいい映画を紹介したり、霧吹きもいろんなタイプを比較しながら紹介したり……、楽しいと思いませんか(笑)?

……確かにそれは楽しそうですね(笑)。では最後に、これからの広告への思いや、広告に携わる仕事をしている若い方々へのメッセージをいただけますか。

広告界で働いている人には、夢や自己実現を大切にしながらも、やっぱり「感謝」と「謙虚」という気持ちを持って仕事に携わって欲しいと思います。次に法令順守の精神ではないでしょうか。昔は良いものつくるには縛られるものが少なく、なんでも自由に発想できるほうが良いに決まっていると考える方が多くいらっしゃいましたが、現在は法令順守は良い広告をつくる絶対条件ですよね。その上で魅力的なものを作るのが真の力だと思うので、その力を若い時から磨きあげて欲しいと思います。新入社員の研修でも、話題になる広告を作ることと、表現コンプライアンスはどちらも同じレベルで重要なスキルだと初心に刻んでもらえるようなプログラム作りが重要ではないかと思います。

また、「利己的」に対して「利他的」という考え方がありますが、広告に常に利他的視点をもつようにすることが大事だと思います。広告に関わる人にとって、「自分の仕事は利他的か」を常に考える視点は今後益々重要になると思います。
 広告を考える際に、受け手に「何かいい影響を与える」ために作っているという考えは欠かせません。自分が広告を通して提供しているものの価値によって受け手が幸せになるというイメージをしっかりと頭だけでなく、心で理解して、仕事に臨めたら良いですよね。広告の信頼性や健全性を押し上げる原動力になると思います。
 なんて、実はここで、お話したことは、全部自分の若い頃の反省で、そんなことができていたら、自分はもっともっと幸せを感じられる仕事人になれていたかもしれないなあと思う自戒の念なんですが。

(インタビュー・文 牧野容子)

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